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Wednesday, 13 December 2006

再一次感動 - 《一公升眼淚》亞也在學校跟同學道別

經典對白, 不用看畫面, 聽著已令人感動... (起碼不會因為要播廣告而被打斷)
給大家看著中、日對白來感動一番~


原文

知ってる人もいると思いますけど、あたしの病気は治りません。治療法がないみたいです。いつか、歩くことも、立つことも、話すこともできなくなるとお医者さんに言われました。

この一年で、あたりまえにできていたことが、一つ一つできなくなってきました。夢の中では、友達と喋りながら歩いたり、バスケをしながら思い切り走ったりできるのに、目が覚めると、もう自由には動かない体があるんです。毎日が変わってしまいました。転ばないために、どう歩いたらいいのか、どうすれば、お弁当を早く食べれるのか、どうすれば、人の視線を気にしないでいいのか、一つ一つ頭の中で考えなきゃ生きていけません。高校に行って、大学に行って、仕事をして、そんなふうに思い描いていた未来が、ゼロになっちゃいました。生きていく道が見つからなくて、小さな希望の光も見えなくて、病気になったせいで、あたしの人生が壊れてしまったって、何度も思いました…

でも…でも…

悲しいけどそれが現実です。どんなに泣いても、病気からは逃げられないし、過去に戻りたくても、時間を戻せないし。だったら、自分で、今の自分を、好きになってあげなくちゃって、そう思いました。だって、この体になってから、初めて気づいたことが、たくさんあるから。そばにいてくれるだけで、家族って、ありがたいんだなとか、さりげなく支えてくれる友達の手が、すごく暖かかったりとか、健康のことが、それだけで、すごく幸せなこととか。病気になったからって、失うばっかりじゃありませんでした。この体のあたしが、あたしだって、障害っていう重荷を背負っているあたしが、今のあたしなんだって、胸を張って生きていこうと思いました。

だから、養護学校に行くことは、自分で決めました。みんなとは、生きる場所は違うけど、これからは、自分で選んだ道の中に、一歩一歩、光を見つけたいから。

そう笑って言えるようになるまでに、あたしには、少なくとも1リットルの涙が必要でした。

だからあたしは、この学校を離れても、何かが終わってしまうなんて絶対に思いません。

みんな、これまで、親切にしてくれて、ほんとにありがとう。


譯文


我想也有人知道,我的病是無法治癒的,似乎沒有任何治療的方法,醫生說,總有一天我會變得不能走路,站立或者說話。

在這一年中,原本理所當然能做的事,一個一個地變得不能做了。在夢中明明在和朋友邊走邊聊,能打著籃球盡情地奔跑,但當醒來時,卻發現擁有的只是個不會動的身體。每天都變得完全不同了。怎樣走路才不致跌倒,怎樣才能快點吃便當,怎樣才能不在乎人們的視線,這一件件事不在腦海中考慮的話就活不下去。上高中,上大學,然後上班,曾經那樣描畫的未來,已經全都變成零了。找不到活下去的路,看不到微弱的希望的光芒,多少次我曾經想過,因為這場病,我的人生都給毀了…

可是…可是…

雖然很悲傷,可這就是現實。無論怎樣哭泣,也無法逃脫病魔,就算想回到過去,也無法去撥動時間的指針,既然這樣,我想就該喜歡現在的自己,畢竟得了這場病才讓我意識到很多事情:家人是那種只要陪伴在身邊,就會讓我覺得無比可貴,朋友們那悄悄攙扶著我的手,是那麼溫暖,僅僅因為這樣,健康本身就是莫大的幸福,得了這場病,並不是一味的失去。帶著這樣身子的我,是我,背負著「殘疾」重負的我,就是現在的我,決定挺起胸膛活下去。

所以,我決定去殘疾人學校,雖然和大家的生活環境不同,但我會在自己選擇的道路中一步步去尋找希望的光芒。

能這樣笑著跟大家說這些,我至少流下了1升的眼淚,所以,即使我離開這個學校,也絕不會認為是結束了什麼。

大家都一直對我這麼好,真的謝謝你們。

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